藤澤知雄  

私は、1975年に大学を卒業し、直ちに関東逓信病院(現NTT東日本病院)小児科の研修医となりました。

私の学生時代は全共闘世代であり、一般社会は団塊の世代です。

当時、医学部卒業生の多くは、自分の大学病院に残らずに他の病院で研修することが流行っていました。

関東逓信病院の4年間の研修医と専修医のシステムは、比較的充実していたように思えます。それでも一般病院ですから、小児科はベテランの先生方の他に研修医は3名しかいません。

私は、先輩小児科医からマンツーマンで実地小児医療を習うという、古典的な指導を受けました。4年間の研修医時代の私の指導医は、K先生という博学な先生でした。圧倒的に医学知識が乏しい私にとってK先生はまるで教祖様のように感じられました。

わが国の小児肝臓学のパイオニアである白木先生とK先生が交友関係にあったことから、後に私は、医学雑誌の編集、厚生省研究班などの研究班、大山小児肝臓ワークショップ(勉強会)において白木先生にご指導していただくことになります。

この大山小児肝臓ワークショップとは、1984年から、毎年夏に鳥取県米子市の伯耆富士とも呼ばれる霊験あらたかな、大山(だいせん)の麓にある旅館や弓ヶ浜の皆生温泉宿において、全国の小児肝胆道疾患に関心のある小児科医、病理医、内科医及び外科医(主に移植外科医)が、一堂に会して決められたトピックスについて徹底的に討議する勉強会です。その成果としては、小児の肝疾患の診断や治療に関する多くのガイドライン(手引書)が作成されました。大山小児肝臓ワークショップの最初の10年は、白木先生が運営委員長となり、おもに米子市で開催されていました。その後は、米子を離れて主要メンバーの持ち回りで開催されました。勉強会の名称も「日本小児肝臓研究会」に変わり、今年で32回目を迎えています。

さて肝臓学ですが、当時の関東逓信病院は分娩が多かったためにB型肝炎ウイルス持続感染者(キャリア)の妊婦から生まれる子どもを診る機会がありました。その頃、都立大久保病院産婦人科の岡田先生がB型肝炎ウィルス(HBV)母子感染の成立とHBe抗原・抗体系には密接な関係があること、すなわち、この抗原・抗体系が感染性の指標となる、ということを世界に発信し注目されていました。関東逓信病院においておこなったこの確認試験が、私の肝臓学を学び始める端緒となったわけです。その頃、消化器内科にはI先生(後に伊豆逓信病院)、そして東京都臨床医学総合研究所から真弓先生が時々カンファレンスに参加していただいたことで、HBVに関する臨床的、基礎的な最先端の知見を得ることが出来ました。また、先のHBe抗原・抗体系法の測定などの検査をしていただき、私なりにHBV母子感染の実態を理解することができました。

第一世代の血清由来HBワクチンがまだ開発される前でしたが、HBVキャリア妊婦から生まれる子どもに対して、当時やっと使用できるようになったHBIG(高力価抗HBs抗体ヒト免疫グロブリン)を出生直後の可能な限り早くに(できれば分娩室)投与すると、たとえHBe抗原陽性のHBVキャリア妊婦から生まれる子どもでも約半数はキャリア化を免れることや、HBe抗体陽性のキャリア妊婦から生まれる子どもは、ほぼ全例一過性感染を防ぐことができることを知りました。当時は、世界に先駆けて白木先生、矢野先生、松本先生たちが、母子感染の予防に関する研究をされていました。欧米では、妊婦が妊娠後期にB型急性肝炎に罹患すると母子感染がみられるという報告が多く、日本とは感染実態が異なっていたため、国際会議などでは欧米の先生方と議論がかみ合わなかったようです。今から考えれば、それはHBVの遺伝子型の違いです。東南アジアでは、出産年齢までHBe抗体へ血清転換(SC)しない遺伝子型B,CのHBV感染している妊婦が比較的多いため、母子感染によるキャリアが問題になりますが、欧米では、出産年齢になるまでに多くの妊婦はHBe抗体へ血清転換するので母子感染はそれほど問題にならなかったのだと思います。

HBV母子感染の実態を解明したのは、日本や台湾の研究者たちでした。このように、日本と台湾は、母子感染に関する研究は世界的のトップクラスでした。そして、いよいよ1985年から日本と台湾は、世界に先駆けて母子感染の予防を開始したわけです。当時わが国では、ワクチンを取り巻く一般の環境が厳しく、とくに副反応に関してワクチンに対する不信感が強かったので、接種対象を母子感染に限局せざるを得なかったようです。一方台湾では、1986年から母子感染以外に全出生児を対象とする定期接種(Universal vaccination: UV)を採用しました。世界で初めてのB型肝炎ワクチン定期接種です。世界的には天然痘、ポリオに次いでHBVを撲滅することを長期的な目標にしてUVを強く推奨しています。

もし日本でもこの時に定期接種を採用していれば、対象児はすでに30歳近くになっており、現在の若年成人を中心とした遺伝子型AのB型急性肝炎はここまで流行しなかったのではないかと残念に思います。また当時は、近年のような年間二千万人もの日本人が渡航するというグローバル社会が来ることを誰も予想できなかったのだと思います。

感染症の対策も世界と歩調を合わせる必要があり、このワクチンギャップは埋めるべきであると思います。さらにde novoや再活性化の問題もクローズアップされHBVの対策は持続感染のみならず一過性感染の予防も重要なことが常識となりました。

このように、1985年にHBV母子感染の防止が可能になりました。続いて非A非B肝炎の中でC型肝炎ウイルスが発見され、多くの肝臓研究者たちの目標がC型肝炎の基礎、臨床的な研究にシフトしていったことで、HBVの疫学的ないし基礎的研究が失速してしまいました。しかし、C型肝炎の研究は目覚ましく、C型肝炎の根絶は視野に入ったようです。現時点で残された課題は、HCV母子感染の解明とその予防だと思います。
私は1979年には関東逓信病院から開校直後の防衛医科大学校に移り、小児科講座と診療の立ち上げに悪戦苦闘しました。そして、ウイルス肝炎以外の研究対象としては、胆汁うっ滞症、胆管発生の異常症、自己免疫性肝障害、代謝性肝疾患、急性肝不全などの子どもを診る機会があったことで、肝臓学を幅広く勉強する機会を得られました。そして、国内外の先生方と懇意になり、また肝臓学に興味をもつ後輩ともめぐり合いました。とくに肝臓病理をマンツーマンで病理の初歩から教えていただいた、I先生には感謝しております。また肝移植に関しては、劇症型Wilson病、尿素サイクル異常症など、移植でしか救命できない子どもたちを、京都のT先生が率いる移植外科医に救っていただいたこと、など多くの貴重な経験をすることが出来ました。

また、小児の肝臓消化器学会に関する国際会議などに、私のような若輩を推薦していただいたY先生や、大きな国際学会で講演する機会を与えていただいた国立台湾大学のC先生にはとても感謝しています。その他にも、小児肝臓学の発展に大きく寄与した武蔵野小児肝臓懇話会の立ち上げに苦労を共にした多くの諸先生方に支えられ発展しました。さらに、先の日本小児肝臓研究会の運営委員長を6年間にわたり昨年(2013年)まで務めましたが、この研究会の運営にご協力いただいた各運営委員の先生方にも感謝しています。

私どもは、今年(2013年)の4月から長年の悲願であった小児肝臓消化器科を独立科として済生会横浜市東部病院で立ち上げることができました。私は、先輩先生方からいただいた数多くのご支援とご厚情の恩返しとして、優秀な後輩たちに対していったい何が出来るのか常に考えております。今、私は60代も半ばになりました。若い頃のように多くの肝臓分野を勉強するエネルギーはとても長続きしません。数年前に流行語となった「断捨離」のように、少し研究テーマを縮小してエネルギーを小出しにして、これからも小児肝臓学の修行を続けて行こうと思います。

またB型肝炎ワクチンの定期接種化は一般市民に対するこの重要性の啓発が重要であり、2011年にNPO法人日小児肝臓研究所(JPHRC)を立ち上げ、自由な立場で一般市民向けに辻説法などをしております。どうぞよろしくお願い申し上げます。