「アラジール症候群の会」を応援しています。

日本小児肝臓研究所 理事長
藤澤 知雄

1975年にフランスのアラジール先生が、アラジール症候群を学会雑誌に報告しました。この年、私は関東逓信病院(NTT東日本病院)の研修医でしたが、たまたまこの論文を読んでおり、この病気を知っていました。そんな頃、胆道閉鎖症が疑われる乳児が入院しましたが、黄疸以外に心雑音があり、このアラジール症候群を疑いました。しかし、先輩先生方は先天性胆道閉鎖症と判断し、早く手術(葛西術)をするよう指示されました。私はこの子は胆道閉鎖症でなくアラジール症候群の可能性が高いので、手術をしないで経過を診た方が良いと主張しましたが、誰も研修医一年目の意見は認められず、手術をしました。しかし、黄疸は改善せず、胆管炎を繰り返し、肝硬変に進展し、5歳ころに肝不全となり、死亡してしまいました。現在ならば肝移植による救命ができましたが、肝移植ができるようになったのは1989年からです。私たちは、ただ対症療法として抗菌薬投与、輸血、腹腔穿刺をいたしましたが、もちろん改善しませんでした。

また後年、アラジール症候群の患児を受け持ちました。この頃には肝移植が可能な時代になりましたが、今度は重症のアラジール症候群のお子さんで、もちろん手術はせずに経過を診ていましたが、なかなか良くならず、結局、肝不全となり肝移植を必要な状況になりましたが、残念ながら宗教上の理由で移植はできず、中学生になって亡くなってしまいました。亡くなる数年前に難病の子どもの夢をかなえるという趣旨の財団、日本make a wish財団にお願いし、オーストラリアでコアラを抱きたいという希望が叶いました。後に聞いたことですが、患児はオーストラリアに行ったことを思い出に旅立ったと伺いました。

いずれも私には苦い経験でしたが、アラジール症候群を一般小児科医のみならず内科の先生に知ってもらおうと思いました。このような経緯で「アラジール症候群の会」を応援しております。