公衆衛生と人権 新型コロナウイルスに思うこと

石川 冬美

私は慢性B型肝炎に罹患している一般の会社員です。私がB型肝炎ウイルスに感染した原因は母子感染ですが、父や祖父母、その他の親族に感染者はいないため、母の正確な感染源は分かりません。現在は抗ウイルス薬により通常の人と変わらない生活を送ることが出来ていますが、感染症の患者として、「性病」「うつる病気」として差別を受ける側の立場の者として、新型コロナウイルスに感染した患者情報を発信する行政機関やメディアの報じ方に強い疑問と危機感を感じております。私は医療の専門家ではありませんが、B型肝炎ウイルスの感染によって差別を受けた経験を持つ一市民として、新型コロナウイルス感染について思いを述べたいと思います。

日本は島国のため、有史以来欧米などの諸外国に比べ感染症から守られてきたように思います。しかしながら人の往来により結核、天然痘、スペイン風邪等の歴史はあり、私の住む市にも天然痘を鎮めるため国分寺を建立したといわれる歴史があります。新型コロナウイルスのパンデミックは、新型インフルエンザ以上の脅威として私達市民に降りかかってきました。歴史の中の話やMARS(中東呼吸器症候群)、SARS(重症呼吸器症候群)といった遠い国の話が現在の日本の日常生活に降ってわいてきました。

感染拡大の初期に「白湯を飲む」「イソジンでうがいをする」といったことが予防につながるというデマが広まり、私はそれに危機感を感じました。冷静に考えれば効果がない事があたかも効果があるように広まり、確証のないことに熱狂してしまうことは、正しい情報を聞く耳を塞いでしまうことに繋がるからです。これらのデマは専門家によって間もなく打ち消されましたが、このデマがコロナパニックの始まりだったように思います。

その後、○○市で、○○というビルで、○○線などで、感染者が発生したという報道や噂が飛び交うようになり、感染者の所属先が謝罪をするようなことも起きるようになりました。それは明らかに間違えだと思います。感染した患者や所属先が「コロナパーティー」を行ったならまだしも、普通の日常生活の中では誰しもがその立場になり得えます。プロである医療従事者ですら少しの油断で感染してしまうこのウイルス感染を、トレーニングも受けていない一般人がどうやって完全に防ぐことが出来るでしょうか。該当する患者は手洗い、マスクの適切で清潔な取扱い、食事の際の会話、これらに気を付けた上で感染してしまったかもしれません。

また初期から会話の際の微量な飛沫について感染源になり得ると情報が出ていたにも関わらず、最初にやり玉にあげられたのはパチンコ店でした。リスクと言われる行動ではないのに一斉にバッシングを受ける様は、ガス抜きやスケープゴートのように感じました。このような事態でも県境をまたいでまでギャンブルをやめられないのであれば、別途に依存症として取り組む課題であり、新型コロナ対策で騒ぐ話だったのかと疑問でなりません。メディアや行政の長がパチンコ店をやり玉にあげている最中にも、一部の飲食店やエステ、審美歯科など不要不急でない業種もひっそりと営業を続けていました。

自粛要請が出ても会社を休めない人もいます。その人たちが品川駅を利用する様子が報道されると、責める論調もありました。私の身内は医療機器のメンテナンスのために、あの人の波の中にいました。誰しもが外出しなければならない事情があるのです。

PCR陽性者を受け入れるホテルに入るのを拒否する人がいると非難する報道も目にしました。その人には自宅にペットがいるのかもしれません。生活必需品は身内が届けることが可能かもしれません。個人の事情が分からないことを責める必要があるでしょうか。

現在は「夜の街」がクラスターとして取り上げられています。彼らが正しい納税をしているか私には分かりません。しかし、お酒を飲んで歌い、お喋りすることは実際に感染リスクの高い行為でしょう。納税しているか分からない人たちというのは、失業時に保障のない人たちでもあります。そういった人たちが感染拡大の要因なのであれば、生活の保証をもって営業を止めて貰うしか道はありません。今後そういった職種の雇用のあり方を行政が指導する機会です。あくまで今まで出されていたのは自粛要請であり、従う義務も罰則もありません。

今も患者、感染者が増え続けています。千葉県内では家族内で感染した児童の小学校、学年、性別が公表されています。それらは一般市民の感染予防に本当に必要な情報でしょうか。細かく公表しないと関係各所に問い合わせが来るため、といった話を聞きましたが、情報が必要な人には伝わっているでしょう。国籍や性別や年齢で感染する人をコロナウイルスが選んでくれるなら周知すべき情報ですが、そんなことはありません。伝える必要がないことを明らかにし、感染者の人権を守るのも行政の重要な仕事ではないでしょうか。何かをスケープゴートにしているうちは、感染者やその家族が夜遊びをした、感染対策が不十分だったなどと憶測を呼ぶ、不当で不要な烙印にしかなりません。近隣住民であれば特定可能な個人情報が公表され、所属先が謝罪するようになるのなら自分がたとえ感染していても黙っておこう、正直に話せないとなるのは当然です。黙っていることは感染拡大のきっかけになり、クラスター対策の足枷にもなるでしょう。ですが、私は黙っている人がいても責めることは出来ません。その気持ちが理解できるからです。

目に見えない、解明できていない脅威に対して必要なのは、同調圧力や糾弾ではなく、冷静さと、想像力です。誰しも事情はあると他者に想像力をもって接すること、他者を尊重すること。もちろんそれは自分にも返ってくる、これが人権ではないでしょうか。

今後もこのウイルスは新しい知見が出てくるでしょう。その際に「あの時はああ言っていたではないか」と専門家や政治家を糾弾するようなことがあってもならないと思います。反省は必要ですが、恐らく感染症対策とは、その時のベストを更新して築き上げていくものです。糾弾では状況が良くならないのは、この数か月が証明してくれました。

この騒動の終息にどれくらい時間が掛るか分かりませんが、今後も国際化社会の人の往来により新たな感染症は広がるでしょう。この経験を防疫システムに活かすことはもちろんですが、広報や報道の在り方、私達市民を含めて総括しなくてはなりません。私達一般市民も目に見えない脅威に対して排除するのではなく、どのように向き合うべきか考える時がきたのだと思います。

文末になりますが、新型コロナウイルスに感染して治療されている方々の一日も早いご快癒と共に、残念ながらお亡くなりになれた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。